「 竹富町教育委員会の法律無視を国が許す民主党政権のおかしさ 」
『週刊ダイヤモンド』 2011年11月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 911
民主党政権誕生以降、とみに国のかたちが揺らいでいる。教科書採択問題で沖縄県八重山地区竹富町教育委員会の法律無視を、10月26日、中川正春文部科学相が黙認すると決定した。法律では各地区の協議会で採択された教科書はその地区すべてで採用されなければならず、それが無償供与の条件である。
8月23日、石垣市、与那国町、竹富町の三自治体で構成する八重山採択地区協議会は、来春から採用する公民の教科書を育鵬社の作った教科書に決定した。育鵬社は、従来の日本の歴史教育を筆頭とする教育は自虐的史観に染まっており、そこを正さなければ真に健全な教育はありえないという立場から、より公正な教科書づくりを目指した「新しい歴史教科書をつくる会」の流れを汲む出版社である。
ところが周知のように、竹富町は協議会の決定を拒否した。地元紙に報じられた不採用の理由は、理屈ではなく感情とイデオロギーである。
たとえば育鵬社の公民教科書は同じく「つくる会」系の自由社、清水書院の教科書とともに、尖閣諸島は日本の領土で中国の主張には根拠がないと明記し、日中の主張の併記に終わったその他の教科書との違いを際立たせた。どちらが日本の子どもたちの教育にふさわしい内容かは問うまでもない。
沖縄では、八重山地区での採択が行われる以前から地元の「琉球新報」「沖縄タイムス」の二紙と多くの団体が歩調を合わせて、自由社や育鵬社の教科書への激しい反対運動を展開した。
上の二紙の長年の購読者として常に感じてきたことは、沖縄のメディアはなぜここまで偏るのかという疑問だ。彼らの手にかかれば、およそすべてが本土による沖縄への不当な支配と抑圧につながっていくかのようだ。例は無数にあるが、8月1日の沖縄タイムスの「つくる会教科書採択懸念」という見出しを掲げた記事を見てみよう。「尖閣隠れみの 八重山に触手」の小見出しもある。内容は、石垣市に保守系で四十代の中山義隆市長が誕生した昨年以降、自衛隊募集相談員を自衛隊沖縄地方協力本部と市が連名で委嘱し、自衛隊艦船の石垣入港も認めたと紹介し、尖閣諸島沖の「中国漁船衝突事件」をめぐって「保守系の日本会議国会議員懇談会の所属議員が市主催の『尖閣諸島開拓の日』条例制定記念式典で登壇」と報じている。
こうした事例を紹介したあと、同紙は「教育関係者は『尖閣問題を《隠れみの》に、八重山の教育に触手を伸ばしている』と危惧する」との記述に突然つなげて記事を結んでいる。
自衛隊員募集で自衛隊と地元が協力するなど、通常のことで、さまざまな議員の式典の登壇も同様だ。何が問題なのだろうか。こうしたことを問題視すること自体、異例といえば異例である。同市の前市長はなんといっても、中国の潜水艦が眼前の先島諸島周辺の領海を侵犯しても抗議せず、反対に同盟国である米国の艦船が石垣港に入ったときに「強い恐怖を与える」として非常事態を宣言した人物だ。つまり、それほどバランスを逸していたのだ。
このような独特の政治風土を増幅させるメディア報道のなかで教科書が論じられ、竹富町の決定がなされた。その決定は、第一に、法治国家の地方自治体が法に従わないことを決定した点において受け入れられない。第二に、育鵬社の公民教科書のどこが悪いのかを具体的に論ずるよりも、「つくる会」系統の育鵬社への嫌悪感情が先に立つ理性と知性を欠如させた議論で教科書を決めることも、受け入れられない。
対して中川文科相は、教科書の無償配布は行わず竹富町が自己負担で別の教科書を採用することを許した。カネさえ払えば法律違反も認めるということか。法を守るという国の基本を、国自体が犯している。民主党政権のこんな馬鹿な教育行政は許されない。